2020年春号vol.9
広報紙 2020 春号見どころ
Dreamは、グリーンヒルみふねの開所当時からいる河内さん。グリーンヒルみふねの苦楽を共に過ごしてきた方の熱いメッセージが綴られています。
対談では防災士3人が語る新型コロナウイルスを語ります。未知なるウイルスにどう立ち向かうのか?
今年で3年目を迎えた職員交換研修では、東京都羽村市から来たお二人に話を伺いました。
どうぞお楽しみください。
小規模多機能ホームみどりの丘 河内弘美 ホーム長(現在は、グリーンヒルましきのおもてなしアドバイザー)(P2.3)
平成14年9月(2002年)、私がはじめてグリーンヒルみふねのデイサービスに入社した頃、私の一番最初の上司が河内さん(当時主任)でした。
デイサービスのご利用者様が楽しみにして来るのは、お化粧をしたり、タンスに眠っていた何十年かぶりに着る服をお披露目することです。ご利用者様は、人と会う事でおしゃれをしてきます。
「私たちは、より楽しんでもらうためにお仕事をするんですよ」と教わったことを覚えています。
私がデイサービスにいた頃、休みの日に河内さんが住んでいる地区の敬老会にゲームを持っていって一緒にお年寄りと楽しみました。
仕事以外の活動をする河内さんを見て私は、介護職とはこうしたボランティア精神がないとダメだと痛感しました。
介護職とは、どういう職種かということを教えてもらったことに感謝しています。
デイサービスの後は、みどりの丘のホーム長を経て、現在はグリーンヒルましきのおもてなしアドバイザーとして後進の育成に励んで頂いております。
カイゼン活性化委員会(P4.5)
カイゼン活性化委員会の大きな役割としては、非効率の業務の問題点を洗い出すことです。業務の中で探したり間違ったり遅れたり忘れたり危なかったり、そうしたことが起こらないように見える化しカイゼンしていくのが目的です。
各事業所で、委員会メンバーがおり、それぞれ取り組んでおります。
防災士3人が考える福祉施設でのリスクマネジメント(P6.7.8.9.10.11)
対談者:吉本施設長×寺西ケアマネ(特養)×石橋主任(特養)
昨年度、防災士という資格を取得しました。防災士という目線で災害とどう向き合うのか?そういう対談となりました。
自分が体験していることを人に伝える難しさを目の当たりにしています。
今回新しくデビューした特別養護老人ホームの石橋主任に講師役としての感想を聞きました。
人に伝えていく難しさを彼も痛感しているようです。
最近では新型コロナウイルスの対応に追われています。未知なるウイルスなので地震とは違った対策を講じていかないといけません。
グリーンヒルみふねとしても、今後どう向き合っていくのか非常に難しい選択に迫られました。
答えはこの対談では見つかりませんでしたが、方向性は見つけられたように感じます。
それではこの後、完全版をお楽しみください。
防災士3人が考える福祉施設でのリスクマネジメント(完全版)
日時 :2020年3月10日
場所 :グリーンヒルみふねと認定こども園みどりの里の間も森
題目 :防災士3人が考える福祉施設でのリスクマネジメント
対談者:吉本施設長×寺西ケアマネ(特養)×石橋主任(特養)
吉本:では、改めてお疲れ様です。広報誌に掲載する対談では地域の方などの読み手の方々に、私と職員の皆さんが介護についてどのように姿勢で接しているのか、災害についてどう向き合っているのかということなどをテーマとして話しています。
最近、私を石橋主任が防災士の資格を取得しましので、そこで、今回の対談のテーマとして「防災士3人が考える福祉施設でのリスクマネジメント」について語り合いたいと思います。リスクマネジメントを含めた着地点が見つかればと思いますが、多分いつものことながら答えは出ないと思いますが、課題など見いだされればといいなと思います。
まずは、今年度は私の代わりに石橋主任が名古屋大学などで講演会を行いましたが、その中で自分なりに得たものってありますか。
石橋:今までは、施設長と寺西さんについて行き見て学ぶという形でしたが、今回は自分から喋りいかに人に伝えることの難しさを知りました。聴く側にも聴く姿勢があって、前のめりな感じで「ウンウン」と聴いていただくと、こちらも何かを感じて持ち帰っていただきたい、被災者として、施設の職員として、熊本県民として、聴いていただいている方々の先につながっていただければと思いました。そのためには上手に伝えられるように何回も何回も練習をしたことを覚えています。
吉本:自分の言葉で伝えることが大事だと思います。
石橋:そうですね。他人が作ったものだとですね。自分で考えて作ったものでないと自分の言葉として発表できません。(そうですね。施設長が作った発表内容を私から発表しようとしても上手には伝えられません。なぜなら私の言葉でなないからです。施設長の作られた発表内容を自分流にアレンジして、作り変えて私の言葉、意見を交えて発表し、聴いていただく方に伝えようと考えました。)
吉本:そうですね。寺西さんは、一昨年、昨年と私と組んで講演会活動を行っていました。今年度は石橋主任を組んでみて寺西さんの中での変化はありましたか。
寺西:石橋さんと組んで何回か行きましたね。東京都大田区、愛知県の名古屋大学や一宮市など、石橋主任は話し方が安定しています。特に一宮市の講演では、ケアマネ対象の講演ということもありテーマが少し変化していく中で、聴く方に身を置いて「どうすると聴きやすいか」、スライドでも「どうすれば分かりやすく見てもらえるのかな」とか、一生懸命に学んでいったんだなって思います。
石橋:テーマと内容が違ってきてる時とかありました。それを見直したりとかしましたね。
吉本:私とかよくありましたよ。スライドの順番で説明しているけど「今喋っている内容って、前の前のスライドの内容だ!」とかね。そういうの結構あったんで。
石橋:名古屋大学では2回講演あったて、1回目の講演で「このスライドとこのスライドは逆だ」と思って、2回目の講演ではスライドを入れ替えて講演しました。1回目の講演がリハーサルになってしまいました。
吉本:名古屋大学での一年目では6回連続講演だったからね。
石橋:それは凄い。きついですね。
吉本:寺西さんに何回か確認したもんね。「6回ですか?」、「6回です!」って。
でも、それで熊本地震というモノに向き合うキッカケになったと思います。
石橋:目を背けていた。記憶を閉ざしていたと思います。いい思い出ではありませんからね。それを思い起こして皆さんに上手く伝えられたらと思います。
吉本:思いとして「自分達はきつかった。そういう思いになるんだよ」というのが自分の中にあって、それが強すぎて押しつけがましくなるといけないので、その辺のバランスを考えながら伝えていけたら。
石橋:自分で気付いて行動してほしい。やらなければならないではなくて、自分で必要だと感じて行動してほしいという思いですね。
吉本:「聴いていかに行動に移してもらえるか」というのが、ずうっと自分と寺西さんとの課題なんです。
「ああ、いい講演だったね」「楽しいゲームだったね」で終わるのではなく、「自分たちはこういうことに向き合わなければならないのか」という感じになっていけたらと思います。
石橋:受講された方の中で、一人でも心が動いてくれる方がいればですね。すごくありがたいですね。やっている甲斐があります。
吉本・寺西:うん、うん、そうだね。
吉本:最近の話題は、新型コロナウイルス感染症ですよね。未知の世界なので、基本的な対策としてはインフルエンザとか感染性胃腸炎に似たようなかんじですが、さらに考えていかないといけないですよね。目に見えないウイルスにどの様に取り組んでいくのか。
石橋:ウイルスはですね。見えない災害というか、怖いですよね。
地震とは違いますし、施設を休止して正解なのか。休止しなければしないで「対応を遅い」と言われ、休止すればしたで「ご利用者はどうするの?」となる。今回のことはみんな誰も想定していなかったと思いますからね。
吉本:未だに進行形で続いているんですが、当時の安倍総理からの全国小中学校休校というのがインパクトがあって、速報が流れて直ぐにLINEで情報展開しました。速報が出て2分後だったかな。学校が休校になるということは、子どもを家で見なければならなくって、学校の残りの授業のことや様々な課題が出てきているんだけど・・・いきなり来ましたもんね。
石橋:前置き無かったです。「えっ」と思いました。思わず二度見です。
吉本:もうちょっと考える時間頂戴よって。
寺西:そう、前置き無しでね。いきなりだよね。
石橋:子どもを見れる人が近くにいれば、子どもがある程度大きければですね。いいんでしょうけど。小さい子どものいる家庭は大変だと思います。そうなると仕事を休まなければならなくなって、色んな意味で不安ですよね。
吉本:石橋主任の家庭はどうなの?
石橋:私の場合は、上が中学生と小学6年なので下の子を見てくれますし、妻の勤務先が近所なので、いざとなれば直ぐに帰れますし、休むなら休んでもいいよと言ってもらえる理解のある職場です。それに、自宅のすぐ横に私の親も住んでいますから恵まれた環境だと思います。
吉本:休校となった当初は、春休みまで休校します。その先は地域に投げかけて自由裁量でいいですよって言っていたのに、要請って感じに変わって戸惑いの部分が多く感じます。
石橋:休校の措置を取っていない都道府県もありますよね。8県位でしたっけ。リーザ―の采配がすごいですよね。石川県でしたか、共働き家庭が多いので学校を休校にしませんってニュースで言っていました。
吉本:小中高でも対応が違いますよね。三男の小学校では15日まで休校、次男の中学校では4月の始業式まで休校で3月16日に一度来てねって、長男の高校では1時間遅れの登校で通常の授業になっているようです。
撮影当初14時頃は、雨が止んでいて曇り空、次は16時頃から降る予報。
しかし、思いのほか早く雨が降り出す・・・が、続行可能と判断。森の中での撮影を継続。
吉本:私がびっくりしたのは名古屋です。
この事件?市長の発表した内容を掲載する?
寺西:私もあれはびっくりしました。
石橋:この前講演してきた場所で、まさに同じ様なことが。
吉本:熊本地震のときは、なぜ事業所単位で指針を考えなければならないんだと思ってて、行政からの指示は後手後手でしたが、今回の名古屋では行政からポンッて来たじゃないですか。ある意味「デイは休止なんだな」って、単独で行っている事業所は「中止なんだ」って思っているでしょうけど、そのあとの処理の仕方というかね。
寺西:何が起きているのかが実際に分かっていない状態で、緑区と南区の全デイサービスを休止しなさいってポンッと出てくると、このエリアで何が起きているんだろうってまず思うんです。
石橋:この地区で凄く流行っているのかなって思っちゃいますよね。
寺西:そうそう、でも出ている情報って意外に少ないんですよ。噂とかでね「あそこのデイサービスなんじゃないの?」とか。それが一気に126カ所休止要請とかになると、これ実は大変なことが起きてるんじゃないのって想像しちゃって。でも、反対に名古屋市は物凄く慎重な自治体で、大したことないかもしれないけど予防策として行うというスタンスなのか。どっちなのかが分からないから。
石橋:そこまで言ってくれるとですね。大分違いますよね。
寺西:情報の開示という部分では熊本は優れていたと感じます。託麻台病院の職員1名感染では実際の病院名まで出したあの判断ですよね。
石橋:玉名市で感染者が出たときも病院名も出てましたよね。熊本県での6人目でしたっけ。
吉本:結局、地域の方が安心するんですよね。風評被害的なことを考えてしまうんですが、病院名や施設名などを出して事実を知ってもらうというのが大切なんだなって思います。上益城郡内の高齢者施設っていうとかなりあるじゃないですか。私の勤めている施設ではないから、一体何処だろうって不安になるし、なんだか煽られている感じになって、どうすればいいのか、何の対策をすればいいのかということが見えてこない。
寺西:2月22日の対応では、坂本部長が当直で良かったですね。「感染者が立ち寄った福祉施設ってお宅じゃないの?」という電話での問いに説明されていたので。
石橋:御船保健所の近くの高齢者施設って、あまりないですからね。風評被害です。
吉本:多分、広報誌ではカットされるけど・・・カットの話ですのでカットします。
寺西:そうそう、みんな推測で話しをして、噂話が好きだから。
石橋:らしいよ、らしいよって感じで。勝手に色んな事が付いてきますよね。
吉本:毎年グループホームでお世話になっているある団体の方から、「グリーンヒルみふねさん大変ですね、お一人感染者が出たんでしょ」って言われて、うちじゃないですよって言いましたけど。
石橋:地域交流センターを一時閉鎖したのも誤解を生んじゃったみたいですね。
吉本:そうそう、御船町の方って福祉施設というとグリーンヒルみふねかな?って思う方が多くって。PTA関係で打合せなどに参加すると、周囲の方たちがよそよそしくされている感じがしました。
吉本:先ほどの話に戻るんですが、デイサービスを休業するとなると、学校も休校しているのでダブルの大変さを感じます。子どももいて、高齢者もいて、地域で大丈夫なのかなって思ってしまします。
結局、国の指針でケアマネージャーが段取りしてホームヘルプサービスの様な代替サービスを提供すればいい、提供してください。みたいな感じなので。
石橋:そんなこと言われても、そのホームヘルプに出て来れる人がいない。
吉本:ホームヘルプの現状って、うちのホームヘルプサービスを閉めた理由として、需要はあるんだけど登録ヘルパーさんがなかなか集まらなかったということがあって廃業せざる得なかった。周りの施設もそうだと思うんですよね。登録ヘルパーさんがなかなか集まらない。ただえさえ大変な状況なのにヘルパーの仕事は増えるのかという状況です。
寺西:実際に困るのはご利用者やご利用者の家族じゃないですか。我々も大変な状況に陥る訳だけど、ご利用者やご利用者の家族が困ることに関して我々がどうやって支えていくのか。一段踏み込んで真剣に考えていくことが必要だと思うんですよ。
寺西:いきなり初対面のヘルパーさんが来て「じゃお願いします」って、その様にはサービスに入れないもんね。
ここでかなりの雨となる・・・天気予報の嘘つき。小雨どころの雨ではない。
隣にあるビニールハウスで10分ほど雨宿りを行い、地域交流センターのテラスに場所を移す。
吉本:名古屋市の場合は、行政主体での指示が先に出てきましたが、熊本地震のときは自分たち(施設側)で考えて行動しなければならなかったので、物凄いストレスがありました。今回の場合は行政発信で良かったんですが、この後どうするといった先が見えないという状況です。学校が休校している中、デイサービスも休業しるという話になると、お年寄りの行き場が無くなってしまう。この前のケアマネージャーの話ではないですが、お年寄りの逆流現象が生じてしまうことになる。国が考えているケアマネージャーが段取りして、ホームヘルパーを大々的に使うというのは実質的に難しいというところになってきている。恐らく御船町も考えられないことはないと思います。やはり、そういったことを想定しておかないと、罹患者が出たときのために地域交流センターも今月末までの使用を停止しています。もしも、特養で罹患者が発生した場合に、現状で隔離ということをどの様に想定していますか。
石橋:端の部屋に移動していただくとか。特養はし易いかと思います。
吉本:もしも、仮に新型コロナウイルス感染症の罹患者が出た場合は、インフルエンザウイルスの時と同じ様に部屋を移ってもらうということになりますよね。
石橋:そうですね。他の感染症と同じ対応になりますね。
寺西:施設の中に絶対持ち込まないという絶対使命みたいなところが大切ですね。
石橋:職員一人一人がその様な気持ちでいてくれたらいいですけど、人によっては人ゴミに行っちゃったり、ショッピングセンターに買い物に行ったりして貰ってきても分かりませんからね。それに直ぐ症状が出ませんから。考えて行動して欲しいです。
寺西:そこですよね。そこが!
吉本:37.5度という基準は難しくありませんか。経管栄養の方って37.5度出てる方が結構おられます。
石橋:水分が足りないてない方とか、日頃タンドクの方で常に微熱の方もおられますので、そういった方々に37.5度超えているのでお断りしますというのは難しいと思います。
寺西:でも、どこかには基準を設けていないと判断ができないというのはありますよね。
吉本:基準は難しいですよね。例えばデイサービスの中止の基準をどこに設けるのか。私は御船町から休業要請が出たとしても、あくまでも要請なのでうちの施設で罹患者が出ていない場合は中止にはしないと思います。その代わりに何らかの対策は打たないといけないとは思います。
寺西:名古屋の場合はしっかりと把握は出来ていませんが、業務を行っている事業所などもあるでしょうから。やっぱり本当に困るのはご利用者とご利用者の家族と思ったときに、自分の事業所は営業しようという決断も大事なことだと思います。
石橋:必要としているご家族も多いでしょうし、いきなり止められたらそれはそれで困るので。
寺西:もともと介護サービスがなぜ存在するのかという考えに帰ってくる訳です。困っている人たちを何とか助けたい。
石橋:閉鎖するのは簡単です。閉鎖されたほうはもう…。家で見るなんて無理ですよ。
吉本:「持ち込まない」ということを考えたときに、うちだけの問題だけど、じゃ、例えば事業所連携を行わなければならないときに、一人罹患者が出てどうしようかというときに、受入れをどうするのかということを考えていかなければならないし、うちとしては地域交流センターをそういった場にしているので、御船町で罹患者が出た場合に地域交流センターにお連れするということも一つの手出し。その代わり対応する職員の方には負担が掛かってくるので、その方たちには特別な手当を出していかなければならないだろうし、当然リスクもストレスも掛かって来るでしょうから。
そうすると、熊本地震のときのような色んな事業所のご利用者が地域交流センターにいらっしゃるのかなと考えたりします。
寺西:そうなると、そのご利用者と普段から接しておられる職員の方にも、こちらに入っていただいてそのケアを担っていただくと。
石橋:熊本地震のときと同じような感じになりますね。職員の方にもきていただくことが条件ってことで。誰も知らない方が来られても困りますからね。
吉本:基本的な出入りは外側からで、施設側には入らないようにしようと考えています。
寺西:今だったら事前に話し合いが出来るじゃないですか。熊本地震のときって起きたことにどうしようかって話し合っていたと思うんですけど。今回の場合は、こうなったらどうしようかって考えながら話し合える。その時間がありますもんね。
吉本:今回は、町内のある福祉施設の方が、行政に投げかけてて、行政も気にかけてくれていて、福祉施設同士協力しましょうと働きかけてくれています。
寺西:いいことですよね。
吉本:この方法が正しいかわかりませんが、私から御船町町長に、近いうちに話し合いの場を持ちましょうも投げかけていて、その場で何か決める訳ではなく、行政の出来ること、施設の出来ることは限られていて、お互いに出来ること、お互いに協力できること、地域は周囲の方々に協力していただきたいことも出てきて、これがいい意味でモデルになればいいのかなと思いながら、熊本地震というのがキッカケで、あの時は大変だったからあんな思いはしたくないなというところから、行政も重い腰を上げてくれたと思うので、非常に大きなところかなと思うんですよね。
寺西:やっぱり、地域に一人出たというところがまず最初にあって、で、次の目標はこの地域に持ち込まないというのがあって、それが我々だけではなくて、子ども達の安全だったり、地域全体の安全というところから考えてもらって、そこに関わっている行政を含め一般の人達までちゃんと意識を持って、万が一そうなったときにどうやって対応して、それを出来るだけ小さくしていくのかという取り組みの手法まで含めて、筋書きを考えていきたいですよね。ストーリーとして。
吉本:そうですね。少なくともイメージは出来るのかなと思います。
石橋主任も講演を行いながら未災地の方たちにイメージを持ってねと言い続けている訳だけど、私達もひょっとしたら名古屋でもああいうことが起きているので、私達もキチッと想像して、実際に今起きていることも含めて正確な情報収集を行いたいですね。で、なにか出来ればいいのかなと思います。
吉本:中日新聞の記事を見ると、認知症の方のクラスターが発生していると。
寺西:で、それぞれに家族がいたりとか、友人がいたりとか、それで職員も罹患している可能性があって、どの辺まで調べているのか結果が出ていないから分からないわけですけど。
石橋:今はまだPCR検査ちゃんとなってないですからね。あれすればもっといる、隠れている人がいっぱいいると思うので。
吉本:みんなでしっかりこれから考えていかないとですね。
今は一生懸命に新型コロナウイルスのことを考えているけど、逆に想像すると怖いんだけど、これでまた熊本地震級の地震がきたらどうなるのかなあって。
石橋:怖いですね。
吉本:寺西さんも怖くないですか。
寺西:実しやかにそういう噂出てますもんね。
避難所生活の様になったら、何ともならないですよね。
吉本:そうですよね。
石橋:分けようがない。隔離しようがない。
吉本:その避難所事態が罹患の可能性がみたいな。
Facebookか何かで見たけど、アメリカはモーテルを州が買い取ってそういったところに入ってもらっているって、買い取るって凄いなって。逆にこう本気でそう思うなら、そこまでキチッと分けて。
寺西:施設に入ったときの対応ってどうなるのかなって、職員も罹患している可能性があるとなると、その職員も出勤停止ですよね。
吉本:そうですね。
寺西:誰が濃厚接触者で、誰が実際に感染者なのかというみんなグレーの中で仕事をし続けるという。これっておそらくやっちゃいけないことになると思うんです。その家族も結局もしかしてとなると。
石橋:そうなると、私家に入れないと思います。お父さんは車で寝てって。
吉本:家はあるのに車中泊みたいな。そこも想定しておかないといけないですね。
寺西:そうすると、うちのご利用者に感染者が出たという想定と、ご利用者を含めた全員が隔離されるような状況になる。そうすると、その手配を誰がするのか。施設だけでそれが出来るのか知らないけど。
石橋:無理ですよ。そんなの。
寺西:だったら、結果的に行政が絡んでくれないと、その解決出来ないですよね。職員が出勤停止になったときに・・・
石橋:ここ誰が看るんですか。誰もいなくなっちゃいますよ。
寺西:そうそうそう、そうすると小分けにして色んな病院で看ていただくという形に手配するのを誰がやるのか。
石橋:受けてくれるとは限らないですよね。スタッフが出たところのご利用者を受けるなんて。
寺西・石橋:それはなかなか難しい
吉本:全国見てもそうでしょ。罹患者が出た病院は外来受付中止になりますからね。
寺西:それを施設の相談員とかが、色んな病院とかに電話するとかというレベルではなくて。
石橋:いやぁ、無理ですよね。
吉本:お願いもし辛いし、その様な電話を受けたらなんか非国民扱いされるんじゃないかっていう不安はありますよね。グリーンヒルみふねさんは自分だけ守られればいいのかって言われるのもあれだし、逆の立場もある訳じゃないですか。
石橋:受けてもらえませんかって言われたときに、こっちとしては受けたくないですよね。わざわざ受け入れるのも「うーん」って感じです。
吉本:濃厚接触者の出勤停止の位置付けをどうするのかというのが非常に大きな課題ですよね。
寺西:ケアする人間がいないという状況に陥る可能性がもしかしたらあるかもしれない。そうなったときに動いてもらわなければならないのが私は行政だと思っています。だから今、状況が起きていいないからこそ、行政とその辺までをイメージしながら話をしておきたいんです。なければいいんです。もしかしたらそんな施設が出てくるかもしれない。今の愛知県だったら出てくる可能性が高いんですよ。そうなったときに行政は素早く対応しないと、それこそ放置して、一日二日だったらこの方だったら放置しても大丈夫じゃなくて。誰かがお世話することになって、じゃあ誰がお世話するの?
吉本:そうですよね。デイサービスが休業せざる得なくなるとするじゃないですか。うちはホームヘルプサービスは廃止しているじゃないですか。廃止しているからといって、じゃあどうするのかって考えたときに、一時的な、自主事業的な形で、例えば、デイサービスの職員が、何らかの形で罹患していないご利用者の支援を○○○サービスの代表としてするとかですよ。そういったところを行政の方でも考えてもらってもいいのかなって思います。実際いるのかもしれないけど、未知数で。うち自体でも登録者が88人いるので。一人感染したとしてデイサービスを休止することで87人が路頭に迷うことになるじゃないですか。放って置くっていうこともいけないと思うので。
寺西:例えばセイシキ一つでもね、ご自宅での入浴介助でもいいから、職員が出向いていってお手伝いしてあげる。朝のオムツ交換を手伝ってあげるとか。
石橋:それでもご家族の方は助かると思いますよね。1時間でもですね。最低限の介護をして、
吉本:うん、違うと思いますね。自主事業という位置付けで緩やかに認めてほしいなと思います。緊急のときはとかはですね。
寺西:そういう想定はケアマネージャーにも当然してもらいたくって、サービスを組んでいるケアマネージャーが、使っているデイサービスが休止になったらどうなるのかということをちゃんと考えてもらって、よそのデイサービスを利用できるのかとか、緊急でショートステイが使えるのかとか、ヘルパーさんに入ってもらうとかをケアマネージャーにもキッチリ考えてもらって、その手段をね、統括(フォーカツ?)を交えながら、行政を巻き込みながらの、ここにこのサービスが無いってことも考えられますからね。じゃホームヘルプでって言ってもサービス力が無かったときにどうするのとか。ショートステイがいっぱいで受け入れられないとか、どこのデイサービスも休止しているという状況の中で、じゃあどうするの?
寺西:だから、事前に担当者会議の中で、デイサービスが休止になったときにどうするのかということを、ちゃんとご利用者家族と事業所を含めて話し合っておかなくっちゃいけないよってことです。
吉本・石橋:そうですよね。
石橋:こんなことが待っているとは誰も思っていない。まさかあの後に、一カ月後くらいですけど。あの研修で言われたよねって思いだしてくれる人が何人いるかなと思いながら。
寺西:リアルに現実になるから。
吉本:今話していることが、明日にでも、今日にでも起こってもおかしくないですよね。今日の夕方、行政が発信するかもしれないし。
石橋:そうですよね。
寺西:例えば、御船町で二人目が出たとかってなったときには。
石橋:現在で小学校は16日からってなっているのに、御船町は4月まで休校になりますよね。またそこで親の負担も大きくなって、職員も出て来れなくなって。
寺西:実はこれは、事業継続計画のBCP発動と一緒で、法人とすると売り上げがどんどん落ちていくじゃないですか。職員も感染予防対策を講じながら、日常業務の上に乗っかっている状況となると、ストレスも若干出てくという・・・。
吉本:とりあえず3月31日まで頑張ろうとなっているんですが、これが以降も続くとなるとなかなか大変だろうし。熊本地震のときとは違うんですよね。家族連れてきていいよとは・・・逆に不安だと思っている職員もいるんですよね。そうすると例えば子ども達を集めて、大人がいないといけないと思うので入れ替わりで見守りとして就くとかですね。
石橋:ニュースでの学童保育は凄いですね。1メートル以上離れていないといけないから、一人一人離していって、なんだか、あれも可哀そうですよね。勉強の時間とご飯の時間は離れていても、結果寄っていきますからね。
吉本:取材を受けていた学童保育の先生も「無理だ、やっぱりくっつくもんはくっつくし」って。
石橋:子どもは無理ですよ、理解してもらえない。大人だったら離れないといけないことが理解できるけど。
吉本:実質、私達から説明するのって難しいじゃないですか、子ども達にどう納得してもらうのか。
寺西:例えば、地震と比較して考えていくと、地震が起きて大変な状況から復旧という形で徐々に完全されていくという流れ、そうするといずれゴールが見えてくると想定できるじゃないですか。しかし、今回の場合って、今の時点でこれはどんな状況かっていう分析が出来ないんですよ。
吉本:そうですね。
石橋:今何割進んでいるのか分からないですもんね。
寺西:もっと最悪の状況に陥っていく可能性もあるってことじゃないですか。最悪ってどこまで落ちていくのかなってところがまた分からなくって。
石橋:今が最低って分かっていれば、頑張りようもありますけど、今がまだ真ん中ですよって言われたら「うーん」ってなります。
寺西:だから、この状況把握というところを、なかなか見えてこないところに現状あって、経営者サイドからみると非常にきついはずなんですよ。ここからどんな展開になって行くのか。デイサービスの2週間休止というのも反対側に売上げと事業継続という、法人としてこの事業をこの先やっていって、やって行けるんだろうか。2週間で終わるとは限らないじゃないですか。一か月、二カ月、三カ月となったときには多分持ちこたえられないところが出てくるんじゃないかって気がするんですよ。
雇用自体もそうです。職員が結局、半分職を失って収入が無くなったら、生活が出来なくなってくると、そこを退職して新たに職を探さなければならなくなる。職員も減ってご利用者も減る。じゃ三か月後にオープンして戻ってきてくれるかっていうとそんなことないですもんね。
石橋:もう他のところに行っているかもしれない。国が持ってくれればいいんですけどね。休んだ分払いますって。
寺西:これが全国的に起きてきたら、国も補償しきれなくなる。
だから、今、町に持ち込まないなどというところを、行政に先にこちらから。彼らもイメージ出来ていないと思うんですよ。
その辺をみんなでキチンとイメージを作りながら前に進めて行かないと、起きたときにここだけが全ての負担を被るような形になるのは、やっぱり・・・ねぇ。
施設長も職員ばかりに負担させるのは辛いと思うし。
石橋:全ての業界ですよね。低迷しているのは、やばいですよね。リーマンショック以来って言われているので。
吉本:リーマンショック以上って言っていた。株価も2万を切っている。
寺西:策はね、特効薬と予防薬をいつ作れるかってところに係ってますよね。これが早く出来ればマインドが変わってきて、これがポイントだと思っていて。
石橋:特効薬完成って早くニュースで見たいです。
寺西:先の見えない不安って施設長の講演の中にありましたよね。
石橋:これがいつまで続くのっていうのが一番きつい。短い期間でも長く感じますよね。この一週間が長く感じたように。
吉本:基本、専門家の方たちが集まって方向性を考えているけど、ひょっとすると半年、一年掛かるかもしれないっていう見解を出していたので、よその国みたいな爆発的な流行ではないけれども、ちょこちょこと出てくるみたいな。
石橋:これで終わりじゃないですもんね。秋ごろになったら保菌していた方が出てくるかもしれないですよね。普通のインフルエンザを変わらなければ。
寺西:何回も罹るんでしょ。
石橋:何回も、二つの型があるって言ってました。ちょっと弱めのウイルスと感染率が凄く強い奴と、なんかいるって言われてました。
吉本:そうなると怖いな。
石橋:ウイルスも進化しているって。
そろそろ締めの方向で・・・との声が入る
吉本:今度、御船町を話す機会があるので、今話した内容を提案出来ればいいのかなと。
みんな事業所の考えている課題とか不安って一緒だと思うんです。デイは休止するのは構わないけど、その先どうするのっていうのはみんな多分不安だと思うんですよね。やっぱり、それを私達がどうカバーしていくか。それは私だけの思いでは多分いけない訳で、職員の合意形成、熊本地震と一緒ですけどね。合意形成がキチンとやっていかなければいけない訳で、その辺の全体のバランスも考えていかなければならない。
町に協力していかなければならないことは、施設としても協力していくし、私達がして欲しいという支援はやっぱりして欲しいですよね。
分からないですけど、経済的な部分かもしれないし、支援物資みないな物かもしれない。それは分からないですけどね。実際に施設の中でもマスクはもう無いという施設もある訳ですから。
石橋:ですよね。売ってないですからね。
吉本:昨日、大西市長がツイッターで、マスクを四万枚、熊本市の施設に配りましたって出てたんですよね。
石橋:熊本市かぁ
吉本:高齢者施設に配布しましたって。
寺西:そういった医療や介護関係の事業所には、消毒液とマスクは必需品なので。
石橋:国から支給してくれればいいですけどね。この規模に対してこれくらいとか。
吉本:そうですよね。
寺西:枯渇して、無くなってきてるという事業所もあるってニュースで流れているので。
石橋:やっぱり、貯め買いしているところって少なかったんじゃないですかね。小さいグループホームとか単独のところとかは。もう作るしかない。
吉本:罹患者の方を介護しなければならなくなったら、使い捨てのガウンなども考えなければならなくって、今日、在庫を見てもらうようにしています。あと、防塵マスクと手袋と在庫を確認してもらったんですが、十分な量ではないので、まだ発注出来るのでれば発注していこうかなと考えていて、各事業所にお願いをしたところなんです。
吉本:今度また行政と話をしながら、また少しでも方向性が見えればですね。
寺西:やはり中心にあるのは、ご利用者とご利用者のご族。それが我々のやっているサービスの基にあるところなので、で、その軽減ですよね。それで、この新型コロナウイルス蔓延の様な形で社会情勢が不安になって、万が一サービスが停止する様な状況になったときに、一番の被害者はやっぱりご利用者のご家族になるので、そこをどうやって社会全体で支えていくのかということは、我々だけではなくて行政と全てのフレアが一緒に考えていくことが大切で、協力体制を作り上げていく。
吉本:そこが出来ないと私達の存在価値すら無くなってしまう。元々はご利用者とご利用者のレスパイド(?)ケアというところの負担軽減が一番の目的なので、その負担軽減を負担増長させる訳じゃないですか。うちが出来ないから家族でお願いしますっていう。それはやっぱり難しいと思うんですよね。
やっぱり、極力最小限に縮めていくのは私達の役割でもあって、行政と連携する、地域の施設とも連携するというのが大事になってくるのかなと思います。
という感じでどうでしょうか。
熊本東京職員交換研修(P12.13.14.15)
今回で3度目になる東京都羽村市神明苑との職員交換研修となりました。
初年度は、一週間泊まり込みの研修が果たして本当に可能かどうか私の中にも迷いがありました。
しかしながら実際に1週間泊まり込み研修をした職員の声を聴くと「やってよかったな」とつくづく感じます。
おそらく同じ熊本県内では実現できない研修であり、1300㎞という距離が離れているからこそできるのはないでしょうか。
みふねの四季・まちの頑張ってる人・アクテビティスタッフ紹介(P16.17)
介護食レシピ・御船のいさぎ(河地愛農園インタビュー)(P18.19)
菜の花散らし寿司(一人前)
〈材料〉
・精白米 50g
・人参 15g
・かんぴょう(乾) 1.5g
・でんぶ 3g
・とびっこ 5g
・菜の花 25g
・塩 ひとつまみ 菜の花を茹でる前の下味用
・鶏卵 1個 一人分は15g(Lサイズ1個の1/5の量) → 錦糸卵
・塩 ほんの気持ち → 錦糸卵
・砂糖 1g 小さじ1/3杯 → A
・薄口しょうゆ 2g 小さじ1/6杯 → A
・みりん 1g → A
・酢 7g 小さじ1杯気持ち山盛り → B(すし酢)
・砂糖 5g 小さじ1/5杯 → B(すし酢)
・塩 0.1g 小さじ1/3杯 → B(すし酢)
〈作り方〉
① 1.ボウルに卵を入れ、溶き、ざるでこす
2.こした卵液に塩をほんの気持ち程度加えて混ぜる
3.フライパンにサラダ油をひき、中火で熱したらフライパンの温度を均一にする
4.卵液を薄く広げて弱火で両面を焼く
5.まな板にのせて半分に切り、重ねて折りたたんだら端から細く切り、ほぐして錦糸卵の完成
② 人参と水で浸したかんぴょうをみじん切りにし、Aの調味料と合わせて柔らかくなるまで煮る
③ 菜の花は軽く塩をふり、さっと茹でて上側(花側)5cmくらいを飾り様として残し、下側(茎側)をみじん切りにする。
④ 炊いた米にB(すし酢)と②、③のみじん切りにした菜の花を混ぜ込み、皿に盛る
⑤ ④の上に①(錦糸卵)、でんぶ、とびっこ、③の飾りの菜の花を盛りつければ、彩り鮮やかで美味しい菜の花散らし寿司の完成
「御船のいさぎ」取材 『河内愛農園』代表 河地和一(かわちかずいち)さん(インタビュー完全版)
取材日時: 2020年3月5日(木)14:00~15:00
Q 創業されて何年になりますか。
A 1978年の熊本農業高校3年の在学中に「河内地愛農園」を始めましたので、今年で42年目になります。
父親は、農業は大変だからということで、私に農家を継がせる気はありませんでした。しかし、父親は私が中学生のときに他界しましたので、私が跡取りだと自覚し熊本農業高校に進学しました。
高校在学中に「これからの農業はオーガニックだ」と思い、高校では有機農業について学びたかったのですが、誰からも教えてもらえなかった。そんな時代ですよね。でも、自分の農場で有機農業をすると決めていたので早く仕事をしたかった。だから大学進学をせずに高校在学中に独学で「河内愛農園」を始めたというわけです。
父親代わりに温かく育ててくれた祖父からは当初は大反対されました。「そんな変わったこつすんな。普通に市場に出しとけ」、「暮らされんぞ」って。しかし、私が35歳でこの家を建てたことをみんなの前で「お前は凄い、有機農業で家を建てて大したもん」と褒められたことをとても嬉しく覚えています。
Q これからの農業はオーガニック(有機農業)と思ったキッカケはなんですか。
A 当時は農薬を沢山使う農業でした。市場に出して高く買って貰うために、見た目が綺麗で、形が良く、美味しく、より多くの量を生産するために農薬を使います。しかし、一般的に自宅で食べる農産物には農薬を可能な限り使いません。農薬を使わずに出来た分を食べます。私はそういう農業をしたいと中学生の頃から考えていました。
Q 河地さんは「ねぶた」をはじめ、御船のいさぎで販売されている「御船米焼酎 十郎」と「本格樽焼酎 ガオー」、恐竜博物館で販売されている絵本「ガオー!ガ王のキバがおれたわけ」など様々なモノを手掛けておられます。まずは、「ねぶた」について始められた経緯を教えてください。
A 御船町観光協会の前身である両岸会で2008年に御船町のお米と吉無田の水で作る日本酒を作ろうということになり、2009年に仕込みを始めて翌年2010年に「水の鼓動」を商品化しました。
2010年春に「水の鼓動」を商品化し、その翌年に「ねぶた」作りを始めました。
2010年に銀婚旅行に行こうということになり、妻は「青森県に行ってみたい」、私は「ねぶた祭を見てみたい」ということからねぶた祭りの開催される8月に青森県を訪れ、そこで見たねぶたに大変感動しました。そして、御船町の町おこしで何をやろうかと模索していた最中に、2011年の東北大震災があったことから「ヨシ!ねぶたを作ろう」ということになりました。
そして、昨年3月2日に青森県のねぶた祭りの代表者が熊本を訪れました。熊本復興ねぶた祭りでねぶたを出さなければならないが、予算がないので製作してもらえないかと依頼がありました。そのときに製作したのがこの「ねぶた6号機」です。本業は手を抜いて一人で8カ月製作に費やしました。受けた以上は見苦しいものは作れないとの思いで祭りの3日前まで製作していました。それでテレビの取材やYoutubeにも載せていただいて嬉しかったです。Youtubeで「熊本復興ねぶた令和元年」で検索すると出てくるのでぜひご覧ください。青森から来た「ねぶた」1台では様にならないので、御船町からの3台出して、ついに青森の「ねぶた」とコラボしたんですよ。旅をしてみるもんですね。お金もいっぱい使ったよ。
Q 次に「御船米焼酎 十郎(じゅうろう)」を商品化された経緯を教えてください。
A 2011年に「御船米焼酎 十郎」を販売しました。
名前の由来は、学生の時に読みふけったマンガの主人公の名前にしようか、ナントカ太郎にしようかと考えていたところ、私の母が「十郎ってどうや」と言われた。当初は木倉の十軒の農家から持ち寄ったお米(現在は全て河地愛農園のお米)で作った焼酎でもあること、町おこしのメンバーも5人から10人に増えたことからこの名前に決めました。裏話として、私の曽祖父の名前が十郎なんです。それと、ラベルの文字は私が筆を執って書きました。下手でも曽祖父は喜んでくれるかなと思いました。
Q 次に「ガオー!ガ王のキバがおれたわけ」を商品化された経緯を教えてください。
A 2014年に絵本「ガオー!ガ王のキバがおれたわけ」を発売しました。
2011年の「ねぶた」から毎年1台作成し、2013年まで3台の「ねぶた」を作成しました。私の頭の中には「ねぶた」の元になる物語があったので、いつか絵本にしようと思いがありました。「いつか絵本にしたい」といつも友人達に話をしていたところ、2013年11月のある酒席で友人の一人から「いつになったら絵本書くの!」と言われ、「よし、書くぞ」となりました。酒の力って凄いと感じましたね。
それから、翌年の3月に両岸会メンバーの自宅に飲みに行っていたところ、経営されているギャラリーにウルトラハウス(熊本の出版社)の取材があっており、その担当の方がとても感じが良く「この人に頼みたい、この人とだったら面白い絵本が出来そう」と思い、ウルトラハウスからの出版を決めました。原画は書いていたので、書籍製作のプロ集団が続々とやって来て「本のサイズは?」、「頁数は?」、「紙質は?」とドンドン話が進んでいき、製作を始めて6カ月経過した8月に2,200部発行しました。いやぁ、酒の力は本当にすごいね。
友人の後押しと担当者いなかったら出していなかったかもしれない。とくに担当者が一生懸命に知恵を出してくれたんですよね。それに、値切るのはカッコ悪いから、ウルトラハウスの言う通りにお金を出した。値切ってまで自分の作品をこの世に出したくないと思ってね。現在は残り300冊になりました。
それから、私の取引先の方の友人にウルグアイ大使館に勤めておられる方がいて、海を渡り今はウルグアイの子ども達にも読まれています。それにアメリカや中国など約5カ国で読まれています。応援者がいて本当にありがたいです。応援者がいるだけで頑張れます。
Q 次に「本格樽焼酎ガオー」を商品化された経緯を教えてください。
A 「本格樽焼酎ガオー」は2016年(熊本地震の年)に売り出しました。「御船米焼酎 十郎」は、小さいけれど古くからあって有名な蔵元に作っていただいています。ここの蔵元で樽仕込みの焼酎を作れることは知っていました。いつかは樽焼酎を作りたいと思っていたところ、付き合いのある販売店から「樽焼酎作らんですか」という誘いがあり、「御船米焼酎 十郎」と同じ蔵元に製造をお願いし、勢いで作りました。
「河内愛農園」で育てた米300キロと、吉無田水源の水250リットルを蔵元に持ち込んで作ってもらいます。「御船米焼酎 十郎」も「本格樽焼酎ガオー」も4合瓶ですが、「本格樽焼酎ガオー」は原酒のため300リットルのオーク樽で約400本の焼酎になります(「御船米焼酎 十郎」の場合は、アルコール度数25度のため一回の仕込みに約700本の生産)。
「河地愛農園」では、一丁(1ヘクタール)の田んぼで、軽めにいって30キロ袋で約100袋のお米を作っています。付き合いのある販売店から「普通のお米よりも、河地愛農園のこだわりのお米、珍しい米で仕込んだ焼酎がいいよ」という意見もあり、「十郎」も「本格樽焼酎ガオー」も100%河地愛農園のお米で仕込んでいます。
「十郎」、「ガオー」ともにお米は300キロ、吉無田水源の水約250リットル持ち込みでよろしいですか。
Q 手掛けられたモノ、商品について伺いしました。河地さんにとっての、モノづくりについての思いを教えてください。
A 高校在学中から「河地愛農園」を始めましたが、小学生の頃からモノを作ったり、絵を描いたりするのが好きでした。好きな授業は図工でしたね。人のしないことをするのが好きでした。例えばオモチャが壊れると別のモノに作り変えるのが上手だった。そして気付いていた「あぁ、私はこういうのが好きなんだ」って。でも写生大会とかで入選したことは一回もないんですけどね。
中学生のときに父親が亡くなってから農家を継ぐと決め、こだわりの米作りをしつつ、ちょっと飽きたら30代でPTAの役員や会長職を受け、40代では町おこしに携わってみたりしたけど、人脈が広がりましたね。
「ねぶた」と絵本の「ガオー」はリンクしていますし、それに「御船米焼酎 十郎」、「ねぶた」製作からの絵本「ガオー!ガ王のキバがおれたわけ」、そして「本格樽焼酎ガオー」と物語はつながっています。また、御船町観光協会の前身である「両岸会」が無かったら「ねぶた」や十郎、絵本と焼酎のガオーは無かったかもしれないですね。
信頼できる担当者、語らえる友人、後押ししてくれる応援者など、私が何かをやると周囲の方たちが応援してくれて、周囲の方たちを巻き込んで物事が進んでいく。私は恵まれていると思います。
Q こらからの夢を教えてください。
A 現在は油絵を描いていますので、将来は個展を開きたいです。20号のキャンパスを6つ並べると120号の絵になるように描いています。ねぶたも絵本も焼酎も合わせた「河地個展」をすることが夢ですね。御船町を表現した個展にしたいです。
Q 河池さんからお伝えしたい事を一言お願いします。
A 私の生き方から一言「思ったらやる」、有機農業も思ったらやる、「ねぶた」も思ったらやる、楽しかったね。個展は最後の楽しみにとっておきます。